さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

消費が前提の"豊かな"生活

みなさんおはようございます。

さいごーです。

 

4日目の日本です。帰ってきた日はほとんど何もしていないので実質3日目でしょうか。たった二か月離れていただけなのに、日本に帰ってくるとやりたいことが次々と出てきます。特に実家だとその傾向が強いですね。お正月やお盆に帰ってきたら実家できないことをしたくなる感じに近いと思います。

そんな中ふと気づいたんですが、日本だと娯楽が「消費」に偏っているような気がしてなりません。毎日ご飯を食べなければならない以上消費が生活の中心になるのは当然なのですが、それが日々の楽しみという部分になっているように感じます。
なんでそうなるかというと、広告があるからです。新聞に挟まっているあのチラシですね。
スーパーのチラシを見て、今日は何が安いのかをチェックする。
で、その安いものを見ると、それが本当に必要かどうかではなく、安いから買いたくなることがあります。そうなると、「安いものを買う」というのが目標になって、その目標を達成することで快楽を得られます。
途中から「安いものを買う」というのが目標になっているので、チラシが複数枚入っていたら比較して一番安いところで買いたくなります。
時間があれば、いくつかのお店を巡ってみることもあります。
そんな考えを何度かしつつ、最終的に買うものと行く店とルートを決めて、実際にその通りに買い物ができると嬉しいのです。

日々の生活では、どうせ何かしら買って食べることが必要ですし、同じもので値段が安いならそのほうが良いのは当たり前です。また、資本主義社会に生きている以上お金を使って経済が回る方が良いので、消費すること自体は大歓迎です。
ただ、それで毎日の欲求が満たされてしまうとしたら、かなり大きな問題だと思います。
人によっていろんな考え方がありますし、その人の時間をどう過ごそうが自由なのですが、与えられたものだけで満足していると感性が鈍り、人間としても成長が止まってしまうような気がします。

詳しく書き始めるとめちゃくちゃ長くなりそうなのでさらっと触れる程度になりますが、あまりにも簡単に欲求を満たせる今の日本社会では、自分で気を付けないとすぐに快楽のループにハマってしまうように感じます。
なんでもあるし、なんでもできる社会です。確実に豊かな社会だと言えます。
でも、何となく感じる心の虚しさは自分で埋められるようにならないといけないみたいです。こんなことを書いていたら、ちょうどパソコンラックの上に『豊かさとは何か』という本がありました。暉峻淑子さんの、岩波新書の本ですね。もう一度読んでみるのも悪くなさそうです。

 

それでは、また。