さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

情報の重さが違う:テレビと新聞のニュースを見て

みなさんおはようございます。

さいごーです。

 

日本に帰ってきて三日目ですが、今は実家に戻っております。
もともと10月1日に日本に帰ってきてその後は日本で活動するつもりだったので、金曜日に実家での予定を入れていたんですよね。急きょセブでの活動期間が延びたといっても、大事な用事だったので少し長めのお休みをもらって帰ってきています。
やっぱりほっと一息つけるのは良いですね。

さて、実家に帰るとテレビがあります。
帰ってきて宿泊した神戸のホテルにももちろんありましたが、疲れていたので全く観ることなく寝てしまいました。ということで、日本に帰ってきて初のテレビです。
昨晩から今朝のテレビでは、選挙の話に絡んでの新党結成の話、そしてラスベガスでの銃撃事件の話がほとんどで、そういった大きな話題が繰り返し伝えられています。

日本で一人暮らしをしていた時から部屋にテレビを置いていなかったので、正直香港でもセブでもテレビについては大きな違いがありません。本当に実家でしか観ないのです。たまに観ていつも思うのは、テレビは伝えたいことを強調しやすいメディアだなーということです。
伝え方、尺の取り方、流す順番など、全て放送する側が決められます。
よく言われることですが、テレビは受け身でしか情報を得られません。
それ自体が悪いとは思わないのですが、私にとっては得られる情報の量と質に対してかける時間が長くなりがちで、効率が悪いと思ってしまいます。
実家には新聞もあるのでそれも読みますが、新聞は自分で読みたい記事を選べます。
もちろん、新聞も記事の大きさや見出しのつけ方、どの面に記事を配置するかなどで伝えたいことを強調できるでしょうが、ぱっと見た後どの記事を読むか選ぶのは読者の側です。別に一面トップ記事だからといって必ず読まなければならないということもありません。やはり能動的に情報を仕入れられるという表現は適していると思います。

この違いを、私は情報の重さと表現しています。ある情報への重みづけを自分でできるかどうかが違うんですよね。
テレビだと、最初からこれは重くてこれは軽いという判断がどんなに気を付けても入ってきてしまいます。やはり一つのニュースに接する時間が長ければ長いほどそうなってしまいますね。
一方で、新聞だとそれを自分で決められます。この記事は扱いは大きいけれど自分にとってはそうでもないなとか、小さな記事だけれど重要な気づきを与えてくれたからクリップしておこうとか、そういう判断ができるわけです。

日本だと入ってくる情報が(日本語の情報が溢れているので)けた違いになります。
ただ、それら全てに反応していては身がもたない。
うまく情報を捌きつつ、快適な休息時間を取りたいと思います。

それでは、また。