さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

教科書を発掘しました

今日は世界史の教科書を発掘しました。
というのも、最近の活動では世界史の知識という前提がある方が進めやすいものが多くなってきたため、世界史の流れを再確認したいと思ったからです。
発掘というのは、高校生の時の教科書をはじめとする教材は段ボール箱に入れてまとめてしまっていたからです。
どこに何があるのか完全に把握していれば良いのですが、残念ながら大学へ進学する時の自分はそんなにマメではなかったようで必要と思われるものだけまとめてしまっていました。
それでも、捨てずに置いてあったのは本当に良かったです。

世界史に限らずどの教科書でもそうかもしれませんが、教科書というのは必要な情報がうまくまとまっていて、読み物としてとても優れているように思います。
様々な知識を抜け漏れの無いように、必要な分だけ決められたページ数にまとめるというのはかなり難しいことだと思われます。
この作業は辞書づくりと通ずるものがありそうです。

思えば、中学校でも高校でも言われたのはまず教科書を完璧にしてから他の参考書や問題集に手を付けるほうが良いという話でした。
目標とする試験(センター試験や大学ごとの二次試験)は教科書をベースにした知識が聞かれるというのが主な理由ですが、それ以外にも以下のようなことがありました。
学習に使える時間は有限なので、読める書物の量には限りがあります。
また、どんな参考書も教科書をベースにして作られるので教科書と違う表現で同じことを説明しているだけです。
何かしらの問題で躓いたときに参考書や問題集を新しく入手するのですが、実はその問題に取り組む時間が足りていないから理解できていないという場合が多いのです。
そうだとすると、諦めずに教科書と教科書に沿った学校指定の問題集に取り組めばできるようになるはずなのです。
しかしそこで新たな教材に手を出してしまうと、すでに分かっているところをまた一からふんふんと頷きながら確認する作業に入ってしまい、結局分からなかったところまでたどり着かないという場合が発生してしまいます。
もちろん、新しい教材の違う表現で理解して問題が解けるようになればそれで良いのですが、大抵は教材の側ではなく学習する自分の側に問題があります。

これは暗記科目と言われる社会では特にそうだと思われます。
結局最後は教科書の中身を覚えているかどうかです。
覚える手法としていろいろな知識をリンクさせたり語呂合わせを使ったりするのは有効だと思われるのでそういった方法を学ぶなら良いのですが、同じ内容を違う表現で書いているだけならあまり変わらないと思います。

そう考えると、世界史の教科書が軸としてあればそれらを別の表現で書いている書物では更に理解が深まると言えそうです。
当たり前といえば当たり前なのですが、何かを学び直そうと思うと意外と近くに方法があるということを再確認できました。
しばらくは現役の受験生のときには少し嫌だった教科書も楽しめそうです。

それでは、また。