さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

語彙力を増やしたい

みなさんおはようございます。さいごーです。

 

寝坊をしてしまったので、一本バスを遅らせての出勤です。
以前決まった時間に目が覚めると言っていたのはどこに行ったのやら(笑)
 
特に昨晩夜更かしをしたわけではないので、おそらく知らず知らずのうちに疲れが溜まっていたのだと思います。
睡眠は長すぎても短すぎてもいけないと聞きますし、難しいものです。
 
昨晩は、読書をしていました。
最近中国語の勉強がおろそかになっているのでそちらを優先すべきなのですが、読みたくなるので仕方ない。こういう時は欲望に忠実です。
昨日は
『仕事に効く教養としての「世界史」Ⅱ』(出口治明 祥伝社)と、
マクベス』(シェイクスピア 新潮社文庫)
を読み進めていました。
『仕事に効く教養としての「世界史」Ⅱ』の方は、歴史の捉え方について新しい視点が得られて、本当にたくさんのことに気付かされます。もともと世界史を教科書で、受験対策としてしかやっていなかったので、どんな世界史関連の本でも何かしら気づきをもらえています。同時に頭の中で膨大な知識を整理できており、教養として身についているのが本当にすごく、感動します。
マクベス』はまだ最初の方を読み始めただけなので何とも言えませんが、このようなスタイルの作品が初めてなので、こちらもまた気づきが多く楽しいです。
 
本を読んでいると、知らない単語がたくさん出てきます。それらの単語を調べて自分でも使えるようにすることで、語彙力が増えていくなーと、今更ながら実感しました。
 
 
こんなことを考えていると、これまで英語を学んだ経験があるということと、現在英語学ぶ学校にいるということでどうしても英語と比較したくなります。
すると必ずしも英語は読書で語彙を増やしたわけではないというのが分かります。
もちろん、Readingの授業の読み物も読書として考えれば、そこそこの量を読んでいるのだと思います。ただ、その教科書で身についた単語よりも、単語帳や単語ばかりまとめたノートを使って覚えた語彙のほうが印象が強いのです。
 
ではなぜそんな現象が起きているのか。
思うに、「最低語彙力」なるものがあるのではないでしょうか。
「最低語彙力」は、何かを読む際に必要となる語彙力のことで、その語彙力に届いていないと、そもそも読めないレベルのことです。
読むだけではなくて書く、聴く、話すにもそれぞれあると思いますが、今回は分かりやすくするために読むことに絞って考えてみます。
 
あまりにもレベルの高い英語の本を読んでいると、単語の意味を推測しても知らない単語の数が多すぎて、意味がわからなくなります。そこで仕方なく辞書を引いても、調べる単語の数が多すぎてうんざりする。三単語進むごとに辞書を引かなきゃならないから、読んでいるはずなのに読んでいる気がしなくて、そのうち嫌になる。
こんな経験、ありませんかね。
多分、これが「最低語彙力」に届いていない場合に発生することだと思います。
実はこれ日本語でも同様のことが起こっているはずです。
やたら難しい専門書や学術書になると、訳の分からない言葉ばかりで読み進められないということがあるのではないでしょうか。
 
そもそも母語としてずっと慣れ親しんできた日本語と、新しく学んだ英語ではレベルの差があるのは当然です。だからこそ、日本語のやり方では英語の語彙力はつかなくて当たり前です。
詰め込み型の教育、学習には批判が集まりがちですが、結局言語はやるかやらないか。
特に語彙に関しては、ある程度楽しくなるまではとにかく詰め込んで覚えるしかないように思います。
いろんな意見があって然るべきです。
例えば、単語の代表的な一つの意味だけを丸暗記して、単語自体のイメージを掴めていないのはいけない!と教わったことがあります。
その意見には賛成です。でも、まずは代表的な一つの意味だけ覚えるところから入っても良いんじゃないでしょうか。
一つ目の意味さえ知っていれば、とりあえず文中で出てきても臆せずに立ち向かえます。
そこで自分の知っている意味ではなんだかうまく通じないな?と思ったとき、また改めて調べてみてなるほど!と頷くので良いと思います。
 
言語はもしかすると機械翻訳の性能があがることで学ぶ必要がなくなるのかもしれません。
でも、学んで楽しいという感覚はずっと無くならないと思います。直接会話できると嬉しいという感覚も同様です。
新しい言語を身につけるのはなかなか難しいことですが、身につけた先にはまた新たな世界が見えるはず。
それを目指して、私も頑張りたいと思います。
 
それでは、また。