単純な作業を意識できる機会
帰省すると家事手伝いが主な仕事になります。いつものお仕事は舞い込んで来ることがなく、来たとしても進めなくて問題ありません。そうなると、身体を動かすことが多くなります。
作業の効率や費用対効果を意識する日々から一転して時間をかけて何かをすることが多くなり、一見すると無駄が多いように思えます。実際には繰り返して行うことではないため、効率を求めなくて良いことばかりです。このように感じられる機会というのが、思っているよりも貴重なのではないかと感じます。
効率を高めることに価値がある場所だと、さまざまなツールや手法が導入されます。そういったものがない状況から改善をしようとして導入した場合なら問題ないのですが、導入がされてからそこに参加すると、便利なものがあるのが当たり前になってしまいます。そのような環境に慣れた人が別の場所へ移った時、当たり前だと感じているものが十分に揃っていないと、不満が募ります。そしてその不満は愚痴となって外に出てしまい、周りの人を不快にしてしまうかもしれません。しかし実は、全体としては最適な方法を採っているという場合も少なくないのです。
自分のできることが増えてくると、つまらないと感じる作業が多くなりがちなのかもしれません。しかし、その楽しみ方を見つけ出せるようになることが真の醍醐味ではないかと思うのです。
かつては面倒だと思っていた作業にまた触れられるのは、実は貴重な機会なのではないでしょうか。今ではそれなりに楽しくその作業を終わらせられるため、少しずつでも成長しているみたいです。
それでは、また。