境界のブロック塀に思う
飛行機に乗るとよく思うことが、肘掛けの使い方です。隣に誰かがいらっしゃると、肘掛けを使うのを遠慮してしまいます。肘掛けは一つしかないのに左右の人が使おうとする。どちらかが譲るしかありません。
とはいえ、身の回りにはこのように何かを共有して使う場面がたくさんあります。パッと思いついたのは家の敷地の境界にあるブロック塀やフェンスです。それぞれの側が違う人の敷地に面している。おそらく所有権としてはどちらかに帰属します。しかし、お互いにそれぞれの側を使うことができるのではないかと思えるような見た目です。実際、お互いに気をつけて使う必要があります。また、フェンスだとそこに植物の蔓を巻き付けるといった用途も考えられ、そうなるとその植物を植えていない側にも影響が出るかもしれません。
人は、色々なものを共有して暮らしています。自分だけのもの、空間という場合の方がはるかに少ないはずです。しかし、知らず知らずのうちに自分の周りに入ってこないでという距離を生み出そうとしてしまっているのではないでしょうか。その空間について意識するのが、一つのものを裏表で同時に使おうとするときです。
おそらく、ルールとしてどちらが優先してそういったものを使うか決めることは可能でしょう。しかし、そこまで細かく決めずともなんとかなるからこそ社会には価値があるように思います。うまく周りの方と過ごしていく。求められている力だと感じます。
それでは、また。