さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

主体的な味覚という発想

先日の帰省の際のお土産には、地元で言うところの「てんぷら」を持って帰りました。衣をつけて油で揚げたものではなく、かまぼこのような練り物です。フィリピンの先生たちがしきりに練り物を欲しがっていたので、それならと買って帰りました。

かつて、練り物がそこまで好きではない時期がありました。嫌いというわけでもないのですが、進んで食べようとは思わない食べ物です。そしてそんな私だったので、かまぼこもちくわも「てんぷら」もどれも変わらないと考えていました。しかし今は全く違うなと感じます。練り物に限らず、昔はあまり得意ではなかったけれど今ではとてもおいしいと感じるものがたくさんあります。

この感覚の変化について、テレビか何かで味覚が鈍感になっているからだと言っていたのを覚えています。幼いうちは味覚が敏感なので感じていた苦手な味を、歳をとるにつれて感じられなくなるということらしいのです。仮にそうだとしても、おいしいと感じられるものが増えるのであれば大歓迎だと考えて気にしないでいました。しかし、おいしいと感じようとするからこそおいしくなるのではないかとも考えられるのではないでしょうか。

食べ物の成分は、自分が何かをしたからといって変わるものではありません。その意味で、変わるのは環境や味覚の方であり、成分を受動的に感じることしかできないというのは確かかもしれません。ただ、おいしくたべようと考えて食べることはできます。私の場合は一手間加えてみたり、なにか別のものと組み合わせてみたりします。自分がおいしいと感じるように、少しだけ調整をするわけです。もちろん作ってくれた方に失礼になってはいけないのでやり過ぎないように注意が必要ですが、想像力で変わる部分はあると思います。

色々なところへ行くことが多いと、やはり食べ物は大きな楽しみの一つになります。しかしじっくりとお店を選べないこともあります。そのような時、自分から食事を楽しむ姿勢は崩さないようにしたいものです。

それでは、また。