さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

成長曲線はなだらかになるのか: 年の差があっても付き合える理由

大学生になった頃に感じ始め、社会人になるとさらに強く意識しているのが、年齢差についてです。大学に入ってから、かなり年の差ある方ともお付き合いさせていただけるようになったように思います。ここでいうお付き合いは私の場合一緒に時間を過ごして飲み会やプロジェクトをさせてもらうことですが、もちろん恋愛を含む人もいると思います。いずれにせよ、年齢の壁がなくなるタイミングがあるように思うのです。

小学生や中学生の頃は、大人と何かをするということとはとても縁遠いように思います。それどころか、学年が一つ上というだけでもかなりの壁です。恋愛が最も分かりやすいと思いますが、小学生が中学生と(恋愛の意味で)付き合うというのは、なかなかハードルが高いことのように思われます。高校生になればある程度そういった機会もあるかと思いますが、まだ抵抗感は拭えません。結局、世界は学校の中にとどまる場合が多いのではないかと思います。

社会人になると、10歳差での恋愛というのは当たり前のようにあるようです。これを学生に当てはめると、小学1年生と高校1年生くらいの差になります。その当時ではありえないような気がします。しかし大人になると、ごく当たり前のことになるようです。

このことに気づいたとき、幼い頃は一年での成長が大きいため、年の差が大きく感じられ、なかなか何かを一緒にするというのが難しいのかと考えました。しかしそうだとすると、大人になってからは成長が少なくなるということになります。成長を曲線にするとすれば、段々と伸びが鈍化するということです。それにはなんだか違和感がありました。

今のところの私の結論は、人間としての成長や知識量で量る成長は確かに鈍化するものの、それは他の部分に伸びているからだというところに落ち着きました。つまり興味関心の方向が多様化し、ある分野の深さだけを追い求めるスタイルから、もっと広く他のことも見るようになるスタイルに変わるということです。成長は止まっていないものの、人間性のベースはある程度出来上がっているため、お互いに壁を感じずに尊敬を持ってお付き合いができるのだと思います。

私が一緒に仕事をさせて頂いている方は、私よりかなり年上の方ばかりです。しかしその方々は私のことを軽んじることなく接してくれます。そういった姿勢ができるのはおそらく社会では必須なのだと思います。しかし、私にとってはとてもありがたく、また目指したい姿です。

それでは、また。