さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

上がってなければ降りられない

私は散歩が割と好きです。色々なところを歩いて探検してみるのはとても楽しいと感じます。と言っても根っこがインドア派なので、外に出るまでは割と腰が重いですが。そのため、職場での昼休みとか買い物に行く前などは、結構な頻度で寄り道をします。特に最近はまっているのが、街中のビルがどうなっているかの探検です。

東京にはオフィスビルがたくさんあります。職場の周りもかなりたくさんのビルがあり、様々な企業のオフィスがあります。一つの企業が所有しており、かつその企業と関連会社しか入っていないようなビルは別なのですが、大抵のビルは外部の人でも入れる場所があります。もしかしたら関係者以外立ち入り禁止と書かれているかもしれないのですが、カフェやレストランが入っているなら外からのお客さんも入った方が都合が良いはずなので、雰囲気で判断していけそうならしれっと入っていきます。面白いお店や美味しいお店、もしくは意外な近道を発見できるとかなり嬉しくなります。

このビル探検の結果、建物の中に入ると認識の連続性が断絶してしまうということが分かりました。これはどういうことかと言うと、それまで分かっていたはずの自分を中心とした方角、高さの認識を忘れてしまうということです。例えば、あるビルに試しに入ってみて、違う出口から出るとします。その時、自分の知っている景色が見つかるまで一時的に自分がどこにいるのか分からなくなってしまうのです。ただの通り抜けであればすぐにそのビルの横を通った時と同じ景色になるので問題ありませんが、違う出口、特に高さが変わっていると大変です。知っている景色がないので、自分がどういう動きをしたか丁寧に思い出さないと、どこにいるのか分からなくなってしまいます。

先日、あるビルに入って方角だけを向かいたい方に合わせて歩いていたところ、目の前にエスカレーターが見えてきました。いつもそのビルの横を通る時には確実に使いたい出口のことを見ているはずなのに、危うくそのエスカレーターに乗ってしまいそうになりました。冷静に考えると、階段を使ったり坂道を通ったりしているわけではないので、エスカレーターを使うはずがないのです。それにも関わらずつい乗ってしまいそうになったのは、そのビルに入った瞬間にそれまでの認識が断絶してしまったからに他なりません。

今はたくさんの便利な機械があります。自分で調べれば大抵のことが分かります。しかし、その結果感覚が失われてしまうとしたら、もったいないことのように思います。ただのちょっとした散歩ですが、動物としての感覚が狂っているかもしれないということを痛感しました。今後何とかして改善しなければ!と思うわけではありませんが、一つの興味深いこととして記憶しておきたいと思います。

それでは、また。