さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

嫌な記憶が蘇る意味

私は、歳を重ねるごとに、記憶の量は増えていくと信じています。思い出せる記憶は、意識できる量が限界なのでおそらくすでにピークが来ているような気がしますが、必要となったら引っ張り出せる情報量は様々なことを学び、経験することで増えていくはずです。もちろんいざ引き出す時にはどこかに欠損があるということもありますが、そうだとしてもその情報量のぶんだけは増えています。

思い出して幸せになる記憶もあれば、一方で思い出すと嫌な気持ちになる記憶もあります。かつて恥ずかしいことを言っていたことや、大失敗をしてしまったことなど、数え出せばキリがありません。厄介なのは、そういった記憶が新しく仕入れる情報とリンクして引っ張り出されるということです。楽しい動画を見ていたのに、ふと過去の嫌な思い出が浮かんでくると台無しです。新しく何かを学んでいる時なら、一気に学ぶ気が失せてしまうかもしれません。しかしそれでもそういった記憶はなぜか勝手に思い出されます。封印して開かないようにしておくことはできないのです。それはなぜなのか。

私はこの現象について、同じことを繰り返さないようにするために自分自身が警告をしてくれているのだとかんがえています。思い出すだけで嫌なことだろうと、実際に起こっているわけではありません。現実における被害はゼロです。しかし嫌な記憶が思い出されたということは、何か今取り組んでいることによって引っ張り出されたということです。それはつまり、もう一度起きて欲しくないことが起きる可能性が高くなっているということではないでしょうか。その時、過去の事例を見返して今を見つめ直すチャンスをもらえていると思うのです。

もちろん全く関係のないように思えることと関連して過去の嫌な記憶が出てくることはあるので、一概には言えません。ただ、過去も含めて自分であり、せっかく体験したことなら活かしたいと思うのです。その意味で、この考え方は都合が良いと思っています。

それでは、また。