さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

味覚の退化と好き嫌い

最近、あるメニューが食卓に並ぶようになりました。その名も燃焼スープ。小学校高学年くらいの頃から一時期作られ始め、気付いたら消えていたメニューです。私の家特有のものかと思っていたら、実はその頃に流行したメニューだということを今になって知り、驚いています。

さてこのメニューてすが、当時の私は大嫌いでした。というのも材料が、缶詰のトマト、キャベツ、セロリ、タマネギ、ピーマンという子どもの嫌いな野菜ランキングの上位を上から放り込んだようなラインナップです。塩こしょうとコンソメで味が調えられているとは言え、とにかく野菜しか無いので逃げ場がありません。なんとか食べるものの、野菜嫌いだった当時はできる限り避けたい食べ物でした。

最近家族の健康への意識が変わってきたことで、この燃焼スープが復活しました。今では野菜嫌いではないので、普通に食べられます。最初は苦手意識があったのですが、食べてみると案外美味しい。食事全体の量と相談しながらですが、どちらかというと進んで食べるようになりました。

どうしてあんなに苦手だったものを、美味しいと感じながら食べられるようになったのか。考えると、小さな頃好き嫌いがあったときの言い訳に行き着きます。それは、「大人になると味覚が退化するから嫌いなものがなくなる」という台詞です。なんの番組だったか忘れましたが、当時たまたま観たテレビで言っていたことだったはずです。もしかすると今燃焼スープが美味しく食べられるのは、味覚が退化したからなのでは?と思ったのです。

本当に味覚が退化しているのかどうかは分かりません。退化しているとして、美味しいと感じるものが増えるのなら別に良いのではないかとすら思います。ただ、実は成長してから思うのが、「食べられないものが減った一方で、昔は感動するほど美味しいと感じていたものが、今ではそれほどでもなくなっている」ということです。

これについては、食事そのものに集中できなくなっていて食べることを楽しめていないとか、昔よりも美味しいの基準が厳しくなっていて、相対的に美味しさのランクが落ちたとかそんなことも考えられます。検証のしようがないので、都合よく主張できる意見です。

退化しているかどうかは別として、嫌いなものが無くなっていろんな食材の美味しさを発見できるのは嬉しいことです。かつて美味しくて感動したものにあまり感動できなくなってしまったのなら、また感動できるように何か工夫するとか、別のものを探せば良いんだと思います。そんなことを考えました。

それでは、また。