さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

時間と空間の断絶を楽しむ

私が小説を読んだりアニメを見たりすることは、ちょくちょく触れていると思います。どちらもハマりすぎると時間を浪費してしまうのですが、適切な量であれば良い気分転換になり、刺激も受けられて楽しいものです。

先日あるアニメを見ていたのですが、言ってしまうとよくあるような話で、展開の先が読めてしまいます。でも、よくある展開だからと言ってつまらないわけではないのです。テンプレ展開とよく言われますが、ありがちだからこそ面白いのです。もしくはキャラがカッコよかったりかわいかったり。とにかく満足度は高めです。その分見終わったあとの虚無感も大きくなりがちですが。

さて、そういう展開を見ていると、時々「なんでそこで気づかないんだよ!」と思うことがあります。よくあるのはラブコメで明らかに好意が見て取れるのにそれに気付けない主人公に対してです。気付かないからこそ物語を続けることができ、また違った展開が出てきて面白くなるのは分かっているのですが、それでもやっぱりもどかしいです。でもこういった展開は、考えてみると現実世界では成り立たないんじゃないのかと、そんなふうに思いました。というのも、明らかに好意が見て取れるのに相手はそれに気付かない場面があったとして、その後はどうなんだというのを考え始めると、明らかにおかしいからです。小説やアニメだと、当然ですが全ての場面を表現し切ることはできません。ページ数や時間の都合があるからです。でもそれは逆に言うと、ある時間と空間を意図的に断絶させて、別の時間と空間にくっつけて続けられるということです。もちろん時系列がおかしくなってはいけないので時間の流れは一方向です。ただ、あることが起こってそれに対して反応が起きたとしても、そこで場面を切ってしまえば一旦その場は終わってしまいます。そして次また新たな場面が始まれば、前の場面との間の時間は次の場面の始まりによって定義されたとおりになってしまうのです。

例えば先ほどの明らかな好意がほのめかされている場面だと、好意に気付けない主人公に対しヒロインの機嫌が悪くなったとします。現実ならどうして機嫌が悪いのか聞くでしょうし、そこで答えてもらえなかったとしてもなぜ機嫌が悪いのかその理由を考えるでしょう。最初の一回はともかくとして、何度も同じような状況が繰り返されていたら考えるものです。もしくは周りが指摘すると思います。でも、その場面で一旦話が切れて次の場面へ移ったら、その間に何があったかに関わらず次の場面の状況のとおりになってしまいます。その次の場面で好意に気付けていないなら、なぜ機嫌が悪くなったのか考えたのか、誰か周りの人が指摘したかどうかも分かりません。とにかく好意に気付けなかったという事実だけが残ります。

でも、その間があるから面白いのだと思います。間に何があったか想像できるから読み手、視聴者の入り込んでいく余地があるのです。現実では気まずい雰囲気を避けられない状況でも、創作なら何事も無かったかのようにほんわかとした空気に戻れるのは気楽です。それを求めるかどうかはさておき、やっぱり小説やアニメは良いなと感じました。

それでは、また。