さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

「老けて見える」のは人類の進歩

みなさんおはようございます。

さいごーです。


皆さんは年齢より年上に見られますか?それとも年下に見られますか?
私はほとんど毎回年上に見られます。よく言えば大人っぽいんだと思いますが、悪く言うと老けているわけです。老成しているという表現をされることもあります。
老成って。。。まだ23歳です。

なぜいきなりこのような話をしているかと言うと、昨日も23には見えないという話が話題に出たからです。昨日まで留学されていた落語家の柳家東三楼さんと仲良くなったのですが、昨日もたまたまお会いしてお友達に私を紹介してくださったんですね。
その際に、「これで23やからね、見えんやろ?」とおっしゃって、お友達皆さんが一様に驚かれたのです。あまりにも大きな反応でこっちがびっくりしたのですが、その反応を見るにどうやら老けて見えるみたいです。そして、落ち着いているとも言われました。

見た目に関してはちょっと認識とのずれが大きくてびっくりしているのですが、落ち着いているとおっしゃっていただけたことについては嬉しく思います。
というのも、完全な持論ですが若くして落ち着くというのは人類としては進歩しているような気がするからです。

この社会では、主に文字と書物のお陰で偉大な先人たちの知識や教えを受け継いでいくことができます。そしてそれをベースにすることで、先人たちが膨大な時間、ときには何人もの人の人生をかけて発見したようなことをわずかな時間で理解することができ、さらに発展した知識体系や理論を打ち立てることができます。
どの分野でもそうだと思いますが、とりわけ科学の分野は顕著だと思います。
これって本当に素晴らしいことで、時々思い返してはいつもすごいなあと感動します。多分この話は人間の精神的な部分の成長の面でもよく似ていて、社会が成熟していくにつれて人間という生き物の精神性も様々な方向に広がるんだと思います。

ただ、精神的な面の成長は、どうしてもある程度時間がかかるのではないかと私は考えています。どうしても、様々な経験が必要になるからです。
そして、時に経験をするためにはある程度の精神の成長が必要となります。
小学校に通っていたころの自分にいきなり海外に行けと言われてもなかなか難しかったでしょうし、どうして海外に出ていくのかというのも理解できなかったでしょう。
もちろん経験は人それぞれで、若いうちに様々な経験をしている人もいると思いますし、それによって精神の成長が著しく早くなっている場合もあると思います。一概には言えません。
ただ、どんな人でも精神面だけは成長にある程度の時間がかかるのではないかというのが私の考えです。
そして、ある程度精神面が成長していないと見えてこない世界、至らない考え方があるとすると、若いうちに成長できれば老いた時に見えてくる世界が変わってくるのではないでしょうか。

もし、先達が60にならなければ到達できなかった精神性、すなわち心構えや考え方を40で身に付けられたら、どうなるのか。60になったときに、より深い考え方が身に付いているかもしれません。それは、人類にとって大きな進歩になるのではないかというのが私の考えです。そんなことを考えるとワクワクします。
孔子の有名な言葉に、

「子曰わく、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。」

というものがあります。
例えば、この言葉にある四十にして惑わず(不惑)を三十で達成できたら、四十の時に天命を知ることができるかもしれない。こんな感覚です。

書物を読むことで、もしくは直接教わることで、先輩たちの大きな気付きを若くして得られる。その気づきを基に自分も新たな気づきを得て、それをさらに次の世代に伝えていく。こうしていくことで、今は解決できない問題を解決できるような気付きにつながるかもしれません。もちろん、今ある問題もできれば自分の世代で解決しますけど(笑)

このように考えているので、実年齢よりも老いて見えるというのは、(特に精神的な意味であれば)光栄なことです。
せっかく今そうなれているのであれば、その特長をとことん伸ばしていきたいと思います。そんな成長や進歩の様子も、このブログで伝えていければ嬉しいです。

それでは、また。