当たり前の欲求を見つける
先週、自分の欲求について整理をしました。なんとなく自分の考え方が変わっているように感じたからです。そして整理してみるとやはり、自己実現や学びといった上位に来ることが多かった欲求に変わり、お金と競争というカードが上に来たのです。
しかし欲求を整理してもいまいちしっくりこない部分があります。考えていることをズバリ示しているとは思えなかったのです。そこでそれぞれの欲求からさらに考えを進めてみたところ、面白いワードが出てきました。それは「努力」でした。
努力をしたいなどという欲求が果たしてあるのか。そもそもそれは当たり前なのではないかと、最初はそんな風に思いました。しかし、よくよく考えてみると努力をしたいというのもあり得るように思えてきます。今努力をしていないというわけではなく、努力の程度が足りていない(物足りない)とか、方向性として違うことに対して努力したいとか、そういったことは十分あり得そうです。
学びたくても学べない人がいるんだから、今の環境に感謝しましょう。幼い頃からよく言われていたように思います。時に面倒だと思いながらもなんだかんだ学習を続けてこられたのは、学びたいという欲求があったからではないでしょうか。逆に、極端な例ですが、呼吸をしたいなどとは思っていません。もしその権利が奪われれば強く思うことですが、普段はそうならない以上意識しません。欲求というのは、意識しているものと意識していないものがあり、そこにノイズのように欲求ではないものも混じってしまうのではないでしょうか。
何かをしたい、実現したい、欲しい。そんな想いが根底にあると、行動につながり、行動力も増します。せっかく備わっている力なのだから、うまく活用していきたいと思います。
それでは、また。