落ちているものへの興味はどこに
駅へ向かう途中の道で、プラスチックのカップのようなものが落ちているのを発見しました。なんだか見慣れたものに似ている気がしたのですが、家で使っているお米の計量カップに似ていたのです。どうしてそんなものが道端に落ちているのか不思議だったのですが、よく見るとカップではなくラッカー塗料などのふたでした。ただそれだけのことで特に話が広がるわけではないのですが、妙にそのふたが印象的でした。
昔から、落ちているものへの興味が強かったように思います。自分の知らないものがたくさんあるからです。拾ってどうこうするというわけではなく、まず何かが落ちているのを見つけるのが楽しい、そしてそれが自分にとって未知のものであればさらに楽しいという感じです。だんだんと自分の知っている範囲が広がることでスルーしてしまうものも増えるのですが、相変わらず何かが落ちていると気にしてしまいます。
落ちているものには、いくつか種類があります。財布やICカードなど、明らかに落とし物だと分かり、落とし主が困っている姿が容易に想像できるものです。このようなものは然るべき場所へ届けます。一方でほぼ確実に捨てられたもの、つまりゴミだろうと思えるものもあります。空き缶やタバコの吸い殻などです。これらのものに対しては、落ちている背景とその後自分がどうすべきなのかがほぼ明らかなのでそこまで興味は湧きません。これらの中間に属するような、そこにある経緯を想像してみたくなるものに、ついつい目が行ってしまうように思います。お米の計量カップが落ちていたら、その理由を考えてみたいのです。
身の回りで違和感を察知したり、想像力を膨らませたりするきっかけは、何かに着目してじっくり考えることだと思います。その対象として、落ちているものはそこまで悪いものではないのではないかと、そんなことを思いました。
それでは、また。