さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

なんとなくの言葉感覚はどうか

言葉を発するときに、何もかもを考え抜いてから話し始めるということをしている人はいないように思います。もちろん、何かを聞いてその返しをする際には一瞬で思考をして発言をしているはずですが、そのプロセスはあまりにも短くほとんど無意識のうちに行われます。そのため、よほど気をつけないとつい口癖が出てしまいます。逆に言うと、かなり気になっていることであれば意識をしないとその言い方を使えません。

以前に書いたことがありますが、私はら抜き言葉がとても苦手です。自分で使うのはもちろん、人が使っているのを聞いていても気になってしまいます。指摘はしないのですが、耳にする度に反面教師としようと思います。

では可能表現をする際に、いちいち活用について意識しているかというとそうではありません。なんとなく違和感があるかどうかを頼りにしています。慣れているのでこの方法でも間違えないのですが、一方でら抜き言葉と同じような感覚で他の言葉も使って良いのかと言うのは気にすべきなのだと感じます。

例えば、やばいという言葉はつい発してしまいますが、細かな意味についてあまり意識していません。また、敬称をどのようにつけるかというのもなんとなくに頼ってしまっています。「校長様」は絶対に使わないのですが、「理事長様」は使っても間違っていないように感じてしまうのです。

そこで違和感を少しでも感じ、修正できればまだ救いようがあります。しかし、お客様が前にいてつい口にしてしまう言葉には注意のしようがありません。結局、日々どれだけ気をつけられるかが大事になりそうです。

取引先の方や同僚の方にあだ名をつけ、その人がいないところでだけ使うような人をたまに見かけます。それはきちんと使い分けられるなら構わないのかもしれませんが、個人的には怖くてできないことです。この怖いという感覚が言葉を選ぶ上である程度自分の理性的な感覚と一致するのが良いのかもしれません。

それでは、また。