手を合わせて何を想う
かなり長期間に思えていた帰省も残すところあとわずかとなり、東京での生活を元のリズムで再開できるよう少しずつ意識し始めました。昨年とその前の年は実家で年越しをしなかったのでより強く印象に残っているのかもしれませんが、お参りが多かったように思います。初詣はもちろんとして、お墓まいりや親戚の家の仏壇で拝むことが多くありました。
神社やお寺にお参りをするとき、私はほぼ同じことばかり頭に浮かべます。それは日々の暮らしに対する感謝なのですが、ほんの一瞬で終わるくらいのことです。ただその一瞬だけは常に動いている頭が空っぽになる時間です。この時間が個人的には好きで、いつもは意識しないものの大切にしたいと思う時間です。
いつも神様や仏様といったものを意識しているわけではありません。自分の行動は自分で決めていると思い込んでいます。ただだからといってそういったものを信じていないというわけでもありません。何かは分からないけれど自分にとって良い結果をもたらしてくれるものがあるのであれば、せっかくなら信じておきたいと思います。都合の良い考え方ですが、意識した時だけ信じるという感覚です。
法事やお盆、お正月といったタイミングは、なにかが起こったかどうかに関わらず手を合わせて感謝をする時間を取れます。おそらく自分の中で当たり前過ぎて意識をせず、場合によってはないがしろにしてしまう可能性があるような時間です。しかしこの時間は、かなり前から予定に組み込んででも確保した方が良いように感じます。一昨年と昨年、そういったタイミングをスキップしたために強く思っています。
このような感覚はどんどん変わっていくと思うので、今後はどのように感じるか、客観的に見続けていきたいと思います。
それでは、また。