さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

平等な指標としての誕生日

連休明けで仕事が忙しくあまり意識できなかったのですが、実は今日が誕生日です。こうなることは分かっていたので昨日のうちに誕生日っぽいことはしておいたのですが、せっかくなので誕生日について考えてみたいと思います。

かつては誕生日は一年の中でも一大イベントでした。好きなものがもらえるからです。しかしそれが成長すると、むしろ親や周りの人に感謝すべきであり、物をもらうというのは何か違うのではないか?と思うようになります。それと同時に、誕生日だからといって何かをしなければいけないわけではないと感じます。しかし、それでも何か特別な日なのです。

ではどうして特別なのか。それはやはり、歳をとるからではないでしょうか。年齢というのはなんとも表現しがたい重みを持っています。これが一つ増えるというのは、やはり看過できないのです。思えば、年齢は平等な指標の一つのように思います。いつ頃からか分かりませんが、学校の学年は不平等なのではないかと感じることがありました。それは、実際に生きている時間としては最大でほぼ一年もの差が生まれるからです。早く生まれた方がそのぶん多くのことを学べる可能性が高いのは、当然だと思います。小さなころなので関係ないと言われればそれまでですが、私はそんなことはないと思っていたわけです。

年齢だと、そんなことはありません。絶対的な基準になります。そしてそれが意識されるのは、大学生になってからではないでしょうか。学年という概念よりも、年齢の方が重要になるタイミングだと思います。

だからといって、若いうちに何か特別なことをしなければならないというわけではないと思いますし、年齢を気にしなければいけないわけでもありません。ただ、私の感覚では年齢で何かを測るというのはかなり分かりやすいと思うのです。

これまで、色々なことを経験できたと自負しています。自信もあります。しかし、まだ何者でもない自分に対する不安もあります。それでも、歳はとります。そのことをどう捉えるのか。良い機会なので、きちんと考えたいと思います。

それでは、また。