さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

節分祭に行かない理由を考えてみる

今日は節分です。一昨年や去年は気づいたら終わっていた気がしますが、今年はゆっくりしているので恵方巻きと節分豆を買うくらい意識しています。正直恵方巻きは高すぎるような気がしますが、せっかくのイベントなので楽しもうと思い買ってきました。

節分の時には、近くの神社で盛大なお祭りが開催されます。メインイベントは豆まきで、やぐらが組まれ、そこからゲストや寄進をした人が小袋に入った節分豆、小さなスナック菓子、お餅などを投げます。うまくキャッチできれば持って帰れるので、かなり多くの人が詰めかけます。おそらく地域でもかなり大規模なお祭りの一つなのではないかと思います。

小さな頃はよく行っていた節分祭ですが、今ではもう行きません。もちろん大学に入ってからはそもそも実家にいないので当たり前なのですが、仮にタイミングよく帰省していたとしても行かなかったでしょう。その理由を考えてみました。

まず、行ってもらえるものに魅力を感じなくなったということがあります。小さな頃は、豆でもお菓子でもお餅でも、ただでもらえると嬉しいです。戦利品を持って帰ることで親にも喜んでもらえて、誇らしい気分にもなります。物ではなく、自分が頑張った証を手に入れられたのです。しかし、成長するとわざわざ時間をかけて取りに行くのは非効率的だと思えてしまいます。そもそもうまく取れるかどうか分かりません。加えて、リスクが高いのです。多くの人が集まっているので、風邪の菌やウイルスが蔓延していると思われます。また、押し合いへし合いの中何かを取ろうとすると怪我の危険があります。実際、小さな頃はみんながうまく取れずに地面に落ちたものを取ろうとして手を伸ばしたところ、大人の足で踏まれて怪我をするということもありました。投げる人にもたまに子どもなどがいるので、力加減を考えずに投げられたお餅なんかは当たるとかなり痛いです。今となっては、どうしてもリスクが先に思い浮かんでしまうのです。

二つ目に、誰かが物を投げて下の人がもみくちゃになりながら拾うというその構図に嫌気が差したということがあると思います。そもそもの意味は違っていたとしても、その姿は富める者が貧しい者に施しをするようにしか見えません。変なプライドなのかもしれませんが、お店で百円あれば買えるものをわざわざ人から見下ろされながら拾うということに疑問を感じるようになったと思います。

節分のお祭りには、きっとたくさんの意味が込められているんだと思います。もちろん豆まきもそうで、参加することは何も恥ずかしいことではなく、むしろ進んで行けば良いのだと思います。そこまで考えが至っても、今日は全く行く気が起こらず、むしろ行きたくないと思うほどでした。これもまた成長と呼ぶのかどうかは分かりませんが、とりあえずまとめておきます。

それでは、また。