さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

読み物としての辞書を考える

卒論という「書く」行為と読書という「読む」行為を繰り返していると、語彙が増えていくような気がします。
じゃあどんな言葉を新しく知ったのかと言われると思い出せないので本当に気のせいかもしれないのですが、、新しい言葉に触れているのは事実です。
語彙が増えていくのは本当に嬉しいことです。
可能な限り新しい言葉を使って表現に幅を持たせていきたいと思います。
もっと語彙力をつけようと思うと、辞書の使い方について考えさせられます。

本や新聞を読んでいてわからない単語が出てきたら、辞書を引きます。
古い本を読んでいるとわからない言葉もたくさん出てくるので、その頻度は多くなりがちです。
ただ、世の中には電子辞書という便利なものがあります。
わからない単語をピンポイントで調べることができ、小さいのでどこでも使えます。
スマホで検索してもよいのですが、ネットで検索するよりも圧倒的に早いです。
また、読み方の分からない単語でも書いて調べることができるのは大きな強みだと思います。
紙の辞書もあるのですが、どうしても電子辞書の方に流れがちです。

本を読んでいたり論文を書いたりしていると、どうしてもそちらの流れを切りたくなくて必要最低限のことしか調べません。そうなると、どうしてもスマホや電子辞書の方が便利です。知りたいことさえ分かればいいのなら、過程をできるだけ短くしたいものです。
そんなことを考えていると、ふと辞書(特に国語辞典)は何かを調べるためというよりもそれ自体を読む娯楽として使うほうが良いのではないかと気づきました。
調べたい単語の他の語も一緒に視界に入ってきますし、一つの項目から次の項目へ移ることもしやすいです。
また、用例などもぱっと目に入ってくるので、興味のあるものを見つけられます。
このような特徴は、新聞でもよく言われます。
新聞も周りの記事が一緒に目に入ってくるので、興味の範囲外の情報も仕入れられるというメリットがあります。
だからこそ若いうちから読んでおくと良いというのもよく聞きます。

何事にも良い面と悪い面があるもので、いつも情報を仕入れるばかりというのは結局何も生み出せないような気がします。
ただ、辞書を娯楽として読んでみるというのは好奇心の赴くままに行動することなので、楽しくできるなら良いなと思います。
いつまでもいろいろなことに興味を持ち、楽しめる姿勢でいたいと思います。

それでは、また。