さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

周りの人があなたを形作る

みなさんおはようございます。
さいごーです。
 
最近、朝ブログを書くときになってネタに困るときが増えています。
ネタが切れているわけではなく、導入で困っているのです。
ネタ自体は前日の夜の日記でこんな感じで行こうというのを(単語レベルですが)メモしているので問題ないんです。次の日になって気が変わってネタを変えることもありますが、とりあえずとりあえずそこは問題ない。
それよりも、ネタはメインの部分しかメモしていないので、いかにその話に持っていくかという部分で頭を悩ませています。
最初から本題に入れば良いんだと思いますが、なんとなくそれだと納得できないんですよね。
 
こういうこだわりを持つのって、なんとなく自分特有のものかと思ってしまいます。
でも実際にはそうではなくて、大抵誰かの影響を受けているわけです。
日々の仕草から言葉遣い、行動まで何かしら影響を受けた上で決めている場合がほとんどです。
その一例として、言葉のマイブームってあると思いませんか?
なんかカッコいい言い回しとか、便利な表現とかはついつい口から出てしまう。
中学生のころ、一時期友達が「尋常でない」という表現をやたら口にするようになり、自分にもそういうマイブームのような言葉遣いってあるなーと思いました。
似たような形で、文章の構成も誰かの影響を受けた上で自分のスタイルが作られていると考えられます。

それは生き方でもそうなんだということを、かつて一緒にビジネスをしていた先輩が教えてくれました。彼は「いつも一緒にいる5人の平均が、自分自身の姿と同じ」と教えてくれました。つまり、長時間一緒にいる5人を変えれば、自分もその方向に変わっていくということです。
環境が自分を決定する大きな要素の一つであり、だからこそ付き合う人や身を置く環境をしっかりと選ばないともったいないということですね。
 
ただ最近、一人の方とお話をしていて気づいたことがあります。
この「環境」って言葉にごまかされていないか?ということです。
環境と一言で言えるのですが、この言葉が示す範囲ってめちゃくちゃ広いんです。
本当に周りのものやことの全てを言えてしまいます。
仮に一緒にいる一人の人に絞って考えるとしても、その人の全てを指して環境といえてしまうわけです。でも、実際に影響を受けるとなると、全ての要素から均等に影響を受けるわけではありません。
自分の気にしている点、自分にはできないけれど、その人にはできる点、自分よりも良くできる点などが自然と気になり、そこから強い影響を受けるはずです。
だとすると、一概に「良い環境」ということが難しいのです。
例えば就職を考えるときに大事な基準が、「成長できるか」です。
そしてよく耳にするのが、外資系に行けば成長できるという話です。この真偽は分からないのですが、仮に外資系の会社には頭の回転が速い、切れ者がたくさんいるとしましょう。すると、その環境に身を置ければきっと自分も切れ者になれる。
じゃあ、それってあなたが求めていたものなんですか?ということが問題になってきます。一般的に頭の回転が速いことは良いことです。でもそれを求めるかどうかはまた人それぞれ。切れ者になるという環境を選んだ以上、他の環境を選ばなかったという事実がよく見逃されます。
一緒にいる人のレベルを上げたとして、果たしてそれは自分の考える理想に近づけるのか、という点をしっかりと考える必要がありそうです。
 
加えて、一般的に良い環境といわれても、自分に合うかどうかはまた別問題。
自分に合わない環境だと、逆に劣等感に苛まれて自分で自分を苦しめてしまう気がします。自分のレベルよりちょっと高いくらいのほうが良いというのは、間違ってないと思います。この話はまだできそうなので、また別の記事のネタにします。
 
意図的に一緒にいる人と、その人と過ごす時間をコントロールするのはとても難しい。
自分の求めるものがいまいち分からない状況だとなおさらです。
だから、あえて「環境」として何かを求めるのであれば、早起きとか定期的に運動をする、みたいな目に見えて分かるところから始めると良いのではないかと最近思っています。生活スタイルであれば真似しやすく、効果を実感できるまでそんなに時間がかからないので。
 
今日は長くなってしまいました。
朝の短い時間で書ける量では無かったかもしれません(笑)
ちょっとその辺りもネタの管理で考える必要がありそうですね。改善します。
 
それでは、また。