さいごーどんの備忘録

香港⇒セブ⇒日本とセブを行ったり来たり 「毎日続ける」ことを目標に毎日の気づきと、時々現地の情報をお送りします。

質問=義務?

みなさんおはようございます。

さいごーです。

 

昨晩、インターン先が場所を提供している講演会へ参加してきました。
いろいろと準備不足で改善すべき点もたくさん見つかったのですが、とりあえず無事に終わり、自分としてもたくさん学ばせていただきました。

講演会の主役は「日本で一番予約が取れない整体師」の、朝井麗華さんと、ノマドワーキングの草分けのような存在でいらっしゃる、安藤美冬さんのお二人です。
詳しい内容はここでは書きませんが、お二人のお話から学ばせていただき、このブログの書き方も少しずつ改善していかないとなーと思ってます。


それで、講演会とかセミナーって、終わったら必ず質疑応答の時間がありますよね?
これって、多分大多数の日本人には割と苦痛の時間じゃないでしょうか。
私も、「質問をしないのは相手の話を聞いていないのと同じで、失礼」とか、「学びたいという気持ちがあれば必ず質問が浮かぶし、なければ考える」とか、「質問がなくても手を挙げて、それで当てられたらその瞬間に質問を考えるんや」とか言われたことがあります。

個人的には質問はすべきだと思っているし、自分が主催者側でない場合は必ずします。主催者側の場合は、先に来ているお客さんの質問を消化するのが筋だと昔教わったことがあるので、その記憶が生きているんですね。ただ、実際問題別に質問しようがしまいがそれは個人の自由だし、質問しないこと=悪みたいな言われ方には疑問符が付きます。

結局のところ、これも戦略的に捉えて考えたほうが性にあっています。質問をすると、確実にその後話しかけるきっかけができるし、少なくともしないよりも覚えてもらえます。また、どんなへんてこな質問でも、頭ごなしに否定されることは少ないので、なんだかんだコスパが良いんですよね。(ただ、たまに頭からどーんと否定されてショックを受けることもあるのでそれは覚悟が必要ですね(笑))
ただこの発想も、そもそも覚えてもらいたい、少しでもお近づきになりたいという考えがないのであれば成り立ちません。あんまり無いと思いますが、むしろ覚えてもらっては困る!という場合だと、絶対に質問なんかできませんよね。
じゃあどうしてみんな「質問しろ!」というのでしょうか。上記のように、いろんな考え方や事情があって当然なのに。

そこにも前提となる考え方があって、その考え方に従うと質問しないのはもったいないことだと考えるからなんだと思います。
その前提は、「成功は良いことである」という考え方だと私は思っています。そして、その成功の定義が人によってさまざまな形に解釈されるから、広い意味で質問はすべきことだとなるんでしょう。
成功するためには、成長すること、人脈が必要だと言われます。この両方が、質問によって得られると考えられるわけですね。ただこのばあいの成功の定義は、お金を稼げるだったり、多くの人と知り合って何かをできたりすることになります。

結局のところへ理屈みたいになってしまうのですが、私はこういった前提に立ち返って見てみるというのはかなり重要だと思っています。
一度前提に立ち返ってみた上で、やっぱり自分は、質問しようと思うわけです。

そんなことを思いつつ、今回は終わりにします。

それでは、また。